Page 7 - 党の百年奮闘の重要な成果と歴史的経験に関する中共中央の決議
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また、遵義会議は存亡の瀬戸際から党と赤軍、中国革命を救い、張国燾の分


                裂主義との戦いにうち勝ち、長征を首尾よくなし遂げ、中国革命の新たな局


                面を切り開く上で重要な役割を果たした。これは、党の歴史上、その存亡に

                かかわる転換点であった。


                   抗日戦争期において、九・一八事変後、中日民族対立が次第に国内の階級


                対立を超えて主要な矛盾となった。日本帝国主義がわが国に対する侵略に拍


                車をかけ、わが民族がかつてない重大な危機に立たされたこの決定的時点に

                際し、党は率先して武力抗戦の旗印を高く掲げ、抗日救国運動を広く展開す


                るとともに、西安事変の平和的解決を促して、国共両党の二度目の合作と団


                結抗日を促進する面で大きな歴史的役割を果たした。七・七事変後、党は正


                しい抗日民族統一戦線政策を実行し、全面的抗戦路線を堅持し、持久戦とい

                う全般的な戦略方針と人民戦争に関する一連のまとまった戦略・戦術をうち


                出し、実行に移して、広大な敵後方戦場と抗日根拠地を切り開き、中国人民


                の抗日戦争が最後の勝利をかち取るまで八路軍と新四軍、東北抗日連合軍お


                よびその他の人民抗日武装組織を指導して勇敢に戦い続け、全民族抗戦の柱

                石となった。これは近代以来、中国人民が外敵の侵入に対する抵抗で初めて


                完全勝利を収めた民族解放闘争であり、世界反ファシズム戦争の勝利の重要


                な構成部分でもあった。


                   解放戦争期において、国民党反動派が公然と全面的な内戦を引き起したの

                に対し、党は広範な軍隊と人民を指導して徐々に積極的防衛から戦略的進攻


                に転じ、遼瀋戦役、淮海戦役、平津戦役の三大戦役と長江渡河作戦に勝利し


                たのちに、勢いよく中南、西北、西南地区へ進軍して、国民党反動派の 800



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