Page 627 - 朱徳選集(1931年—1962年)
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〔八一〕 辛亥革命の勝利の成果を横取りした袁世凱が帝制復活の活動を強めたので、 全国人 〔八○〕 一九一五年、 〔七九〕
〔一二五、 五六四頁〕
「臨時約法」の復活 ふたたび北京政府の大権を握った北洋軍閥の首領段祺瑞は、 九一七年七月、 役 護法の 二八○、五六四頁〕 〔一二五、 ち、護国戦争は終了した。 独立を宣言した。 同年六月、 袁世凱が死亡しての 三月、 袁世凱はやむをえず帝制を取り消した。 袁世凱討伐の して、 国」に改めた。二十五日、 李烈鈞などが雲南で蜂起の電報を発し、 護国軍を組織 蔡鍔、 唐継堯、 中華民国を「中華帝 袁世凱はついに皇帝を称し、 装蜂起の策動をおこなった。十二月十二日、 上海、 民の激しい反対を引き起こした。孫中山の指導する中華革命党員は、 広東
「臨時約法」を守るために起こした戦争を指す。一 孫中山が北洋軍閥に反対し、 とは、 とは、 「第二 孫中山が起こした袁世凱の独裁支配に反対する戦争を指し、 辛亥革命後、
々 に討袁軍が成立した。ひきつづき安徽、 湖南、 重慶などの省 福建、 上海、 広東、
護国の 役
広東、 浙江などの省はあいついで 広西、 を起こした。翌年、 貴州、
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